ドクター・スタッフ紹介

院長 福田慎太郎のHistory

徳島で生まれ、育った

徳島市佐古三番町にある惠愛産婦人科にて、1984年9月22日、父(望)と母(稔子)の長男として誕生しました。実家が佐古三番町にある「のぞむ歯科」で、父が歯科医師で母も受付を手伝っていたので、小さい頃から歯医者は身近な存在でした。

姉と妹がいて、女姉妹に挟まれて育ったためか、自分で言うのもなんですが、思いやりのある優しい性格になりました。

幼稚園からは徳島文理に通い、家族のように仲良くできる友達に恵まれました。文理時代の友達は、今でも、昨日まで一緒に過ごしていたかのような感覚になる大切な友達です。

親の言葉が歯科医師を目指すきっかけ

小さい頃から細かい作業に集中することが得意だったので、ものづくりをする職人のような仕事に就きたいと思っていました。進路について考え始めたとき、父がいつも患者さんから感謝される姿が1番に頭に浮かびました。また、母から「あなたは優しくて人の痛みがわかる人間だから医療に向いている」と言われていたことも覚えています。

少しずつ、歯科医師が自分に向いている職業だと思うようになっていき、「歯科医師になる!」と決意しました。

勉強は自分一人だと続かなかったかもしれませんが、周りの友達が頑張っているから自分も頑張ることができました。

その結果、第一志望だった大学には手が届かず・・でしたが、父親の母校でもあった、愛知学院大学歯学部に入学しました。

部活でついた自信

大学では部活に力を入れました。

ヨット部に入部し、暑い日も寒い日も常に海に出て、一日中練習しました。強風が吹くと転覆して海に放り出されるハードなスポーツでしたが、理論的で奥が深い部分が本当に面白くて、部活の先輩も大変面倒を見てくれたので、今までにないほど一生懸命になれました。

全国の歯学部で一斉に競う「全日本歯科学生総合体育大会」に出場し優勝することを目標にして、5年間練習し、念願の優勝を果たすことができました。

部活を通して、仲間と一丸となって目標に向かう素晴らしさを学び、本気で頑張ると言う体験、全国優勝の経験は大きな自信となりました。本気で頑張ったと言う満足感や自信は、今の僕にとって壁を乗り越える力となっています。

ヨット部の引退後は、国家試験合格に向けて猛勉強しました。

歯科医師としてなりたい姿

国家試験に合格後は、研修医として大学附属病院に勤務しました。

患者さんにはご自分の歯を1本でも多く残してもらいたいと思い、歯周病科に所属して、勉強会やセミナーには積極的に参加しました。

自分の担当患者さんの技工(被せ物や義歯作り)も行い、自分が作った物を患者さんに装着して喜んでもらえたときは、本当に嬉しくなりました。この頃から歯だけでなく心が満たされたときに患者さんは本当に笑顔になるのを感じ、そのために「コミュニケーション」が大切だと感じました。

また研修医時代には僕の「治療の説明を大切にする」こととなった苦い思い出もあります。

それは、ある日、患者さんの根っこの治療をしたときです。時間をかけて一生懸命に黙々と治療し、うまく治療できたので大満足で診察台を起こした僕に患者さんが言いました。「なんでこんな長時間、口を開けっ放しなの」。僕は患者さんの為と思ってベストを尽くしたつもりでしたが、患者さんにとっては、口を開けている間はしゃべれないし、根っこの治療がどういうものか分からないまま治療が続いたために不安だったのだと思います。とても衝撃を受けた瞬間でした。

そういった体験から僕は、事前に治療について「説明」することの重要性を感じました。どんな良い治療であっても、患者さんに理解してもらえるような説明がなければクレームになることもあります。徐々に歯科医師として、自分のなりたい姿が掴めてきた時期でした。

最大の転機、やまむら歯科への入社

開業医をいくつか見学した中で、精度の高い治療をしながら説明とコミュニケーションを大切にしていたのが愛知県刈谷市の「やまむら歯科」でした。みんな向上心があり活き活きと働いていました。ここなら成長できる!と確信し入社しました。

挫折

しかし入社後の数年間は僕の人生で一番苦しい時期となりました。

患者さんからはクレームをいただいたり、周りのスタッフにも迷惑をかけたりして、毎日のように院長から叱られていました。朝日が出る早朝から日付が変わる深夜まで医院で練習し、自分を追い込み頑張っているのに結果が出ませんでした。優秀な先輩ドクター達と比べて劣等感があり、院長からは嫌われていると感じ、自分がいない方がいいんじゃないかと思う状態でした。

そんな状態が何年も続き、僕自身に限界がきていました。

ある日、院長に、「これ以上医院に迷惑をかけるわけにいかないし、先輩達のようになれる自信もない」と辞職を伝えました。しかし、その時院長は、僕を見放さず、考える時間をくれたりセミナーや勉強会に出資してくれたりしました。そこでようやく、院長が僕に変われるきっかけを何度も与え支援し続けてくれていたことに気付きました。

院長との会話、勉強会やセミナーを通し、やっと自分の頑張り方が間違っていたのだと入社3年目の夏に気づきました。とても大切なことに気付かせてくださった院長には、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。その後は、頑張りの分だけ結果が出せるようになり始めました。

院長と同じ考えができる代診になりたいという思いで8年間勤務してきて、患者さんからはもちろんのこと、後輩やスタッフからもとても頼られるようになりました。そんな毎日が嬉しく、楽しく、また僕のエネルギーになりました。

最後には、院長より、一緒に医院を支えてほしいと副院長に任命してもらえたときの嬉しさは今でも忘れられません。

そして、徳島へ。のぞむ歯科を継ぐ

そして、妻(敦子)と結婚し、子供が生まれ、やまむら歯科で副院長を勤めあげたあと、徳島に戻りました。実家「のぞむ歯科」で両親と一緒に仕事をし始めて、改めて父の器の大きさを感じました。

僕が徳島に戻ってきた理由は、培った技術や能力、優しさや思いやりを生まれ育った徳島に役立てることが、自分の生まれてきた意味のように感じたためです。父はその気持ちをよく理解し応援してくれて、何でも挑戦させてくれました。3年間、一緒に父の医院を盛り上げてきて、親の深い人間味を知ることができた貴重な経験となりました。

開業への想い

妻(敦子)と子育てをしていく中で、子供の健やかな成長、「健康」を願う気持ちがどんどん高まってきました。

徳島で自分たちが子供を育てていく上で、徳島の子供たちにとっても、自分たちと同じ若いお母さんお父さんにとっても、子育てしやすく住みやすい街にしていきたいと思います。

皆が健康に生活していくためには、病気にならないように「予防」することが本当に大切で、そのためには正しい知識や習慣を持つことも必要です。

しかし、その正しさを押し付けることは親御さんを苦しめてしまうこともあります。僕ら夫婦も育児や仕事をしていく中で理想通りにいかず、世の中のお母さんお父さんの大変さも分かるようになってきたからこそ、正しさを押し付けるのではなく、寄り添ったり、共に学んだりすることも必要だと思っています。

僕たち歯科医師夫婦ができることは、僕らと同じお母さんお父さんの支えになり、親子のお口の健康を守り、育てる歯科医院づくり。予防への想いを形にするために開業を決意しました。口腔から、徳島の皆さまの生活の質の向上に役立てられたら幸せです。

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